1000万

中学生の頃から、労働への拒絶を原動力に蓄財をしてきた。

 

出来る事なら、大学を卒業するまでに最低限の生活費を不労所得でカバー出来る程度の基盤を整えたかったが、力及ばず、泣く泣く労働に従事して2年余り。

 

一先ず、資産額が目標の1000万円に到達した。

 

正確には、令和4年5月時点で約960万円であるが、失業給付を受給すると仮定すれば1000万円程度には到達するので、とりあえず資産額1000万円達成という事にした。

 

1000万という数字に特別な拘りがあったわけではない。単に10進法でキリの良い数字というだけに過ぎない。

 

何かに対して勝手な願望を抱いたり、期待したりするのは自分の悪い癖だ。1000万円に対しても、無自覚のうちにそうしていたのだろう。

 

資産額が1000万円に到達したところで、その瞬間に何かが起こるわけではない。何かが変わるわけではない。単に、資産額が1000万円になっただけである。自分や成果の本質に、今日も何ら変化は無い。

 

私が行った節約や積み立てを軸とする蓄財方法は、何かをするよりも「何もしない」方が安全かつ合理的だ。実際私も、労働に従事している以外の時間は取り立てて何かをしていた訳ではない。むしろ何もやる事が無さ過ぎて、一日中窓の外の景色を眺めて終わった休日がしばしばあった。

 

1000万円に到達する過程が、もう少しドラマティックだったら、抱いた感想は違ったのだろうか。

 

資産額が1000万円に到達したら会社を辞めてやろうと意気込んでいたが、どうにも決心がつかない。

 

なまじ、所謂セミリタイアという選択肢を取れなくもない額なだけに、耳垢程度にはあった労働へのモチベーションが保てず、一方で退職の決心がつくような額でもないので、精神的な安寧が保たれないでいる。1000万円とは何とも中途半端な額だ。

 

1000万円は、私にとっては鉾にはならない。しかし、盾としては十分な機能を果たす。

 

労働では嫌な事続きだが、「1000万円がある」という一点だけで、何とか踏み止まる事が出来ている。いざとなったらいつでも退職出来るから、あと1日頑張ろう。その繰り返しだ。サウナから出るか出ないかという瞬間の感覚に似ているかも知れない。

 

「何もしない」で達成した目標だからか、何だかあっけなかったが、もうしばし蓄財の為の戦いは続くだろう。

 

1000万円を貯めても、幸福度は大して変わらなかった。2000万貯まっても、5000万貯まっても、精神状態は今と同じような感じだろう。

 

だが、ここで歩みを止めて社会から遠ざかってしまうと、二度と戻れない気がしてならない。1000万円のお陰で、まだもう少し頑張ることが出来そうだ。

 

あと3年で、何とか当初の目標額である資産2000万円に到達出来ればと思う。

 

なぜ2000万円か。

 

10進法で、キリが良いからである。