人任せ総本山他力本願寺

「自分」とは何か

 

自我の成立についてはまた別の機会にするとして、「自分」とは、たまたま生まれてしまった存在である。

 

精子の生存競争の時点でたまたま優秀(若しくは他が劣等)であっただけなのだ。

 

だから、自分が自分でなければならない理由はなく、他の誰でも良い。それがたまたま自分であったという事だ。

 

そして、ありがたい事にこの世の中には自分以外に頑張ってくれる人が大勢いる。

 

今更、自分が何かをする必要は無い。なぜなら、何かをする「自分」は他の誰でも良いから。

 

と言うわけで、「私」は今日も飯を食い、糞をし、慎ましやかな娯楽に興じて、床につくとする。