我壊

人間は、自らの思想信条に基づいて行動する。その思想信条は、往々にして、時代や生育環境、社会情勢等の影響(洗脳)を否応なしに受ける。

とすると、人間と話している時、自分は果たして「人間」と話していると言えるのか。そもそも「人間」は存在するのか。

肉塊としての、生物としての人間は存在するが、精神世界に於ける「人格」の存在について、懐疑的にならざるを得ない。

その「人格」は、目には見えないモノによって、本人の意思とは無関係に作出されたモノの可能性がある。

ロボットに人格は無い。なぜなら、プログラミングされた通りにしか動かないから。

人間も同じように、プログラミングされていないと言えるだろうか。我々が「感情」と呼ぶモノですら、プログラミングの一環であるかも知れない。

生物は、種の保存の本能がプログラミングされており、常に再生産を繰り返す。そういう「ロボット」であるとするなら、我々が認識している「我々」は、果たして存在するのだろうか。