不要

第一次産業以外、無意味。存在しなくても良い。「あれば便利」は「無くても困らない」と読む。

新しい価値を作出し、不要なサービスを提供し、富の移動を促す。ビジネスの本質だ。

生に直結しないビジネスは全部無くなっても大丈夫。そもそも生まれる必要な無かった。

私も全く無価値なビジネスの一端を担う愚かな労働者をやっている。世間的な信用はそれなりに高いが、本質は単なる中間搾取のビジネスだ。

世の中の大半のサービスは無くても問題無い。そんなサービスに従事して楽しさややりがいを見出だせるのは、どこか頭がオカシイのだろう。(批判をしているわけではない)

我壊

人間は、自らの思想信条に基づいて行動する。その思想信条は、往々にして、時代や生育環境、社会情勢等の影響(洗脳)を否応なしに受ける。

とすると、人間と話している時、自分は果たして「人間」と話していると言えるのか。そもそも「人間」は存在するのか。

肉塊としての、生物としての人間は存在するが、精神世界に於ける「人格」の存在について、懐疑的にならざるを得ない。

その「人格」は、目には見えないモノによって、本人の意思とは無関係に作出されたモノの可能性がある。

ロボットに人格は無い。なぜなら、プログラミングされた通りにしか動かないから。

人間も同じように、プログラミングされていないと言えるだろうか。我々が「感情」と呼ぶモノですら、プログラミングの一環であるかも知れない。

生物は、種の保存の本能がプログラミングされており、常に再生産を繰り返す。そういう「ロボット」であるとするなら、我々が認識している「我々」は、果たして存在するのだろうか。

え、関係無くね?

誰かが殺された。誰かが不倫した。

なぜか、自分に全く関係の無い事に、関心を持つことが出来る人がいる。

関係無いのに。何も。

関係無いのに、勝手に悲しみ、勝手に憤り。

あるんだかどうか分からないリソースは慎重に使いたい。とりあえず、今日は何ラーメンを食べようか。

カネの本質

人類皆、生きるために金を稼ぐ(「稼ぐ」ではない。厳密に言えば、人生を切り売りして「換金」しているだけ)

金とは何か

金とは、信用である。

日本銀行券や硬貨が使えるのはなぜか。それは、国が発行する紙ペラ、金属の塊に「価値がある」と皆が信じて疑わないから。

ゴリラやウーパールーパーにとって、金は無価値だ。彼らには、「金に価値がある」という信用が無い。

「金に価値がある」という信用が失われた時、金は金でなくなる。

信じるものの思い込みによって価値が保たれている。金とはそんな不安定なモノなのだ。

生きる意味

生きる意味など無い。全ては思い込みである。生きていなければ、生まれなければいけなかった人間など一人としていない。生きる意味を見出だせるのは、良くも悪くも「バカ」だけだ。


ジョブズがいなければiphoneが無かっただけ、エジソンがいなければ電気が無かっただけ。ただそれだけに過ぎない。


人類なんて誕生しなくたって良かったのだ。皆、種の再生産過程に組み込まれた被害者に過ぎない。


ただ、生まれなければ良かったとは思わない。そんな人生を歩めれば、まあ及第点なのかも知れない。


水槽の亀

私の実家の近くの家の玄関先に、40cm四方ほどの水槽がおいてある。

中には亀が一匹。多分、私の記憶違いでなければ10年程前からいた。
その亀が入っている水槽を置いている家の前の道は、通学で長年利用していた。亀を幾度目にしたか分からない。

「なんて狭い世界なんだろう」

そう思いながら、外の世界を自由に歩けることにささやかな喜びを感じていた。

勤め人となってからも所用でしばしばその道を使っている。そしてこう思う。

「なんて狭い世界なんだろう」

そう思いながら、外の世界を自由に歩けることにささやかな喜びを、感じてはいなかった。

世界は広い。地球は広大だ。生まれ育った地元の地域でさえ、全ての道を歩き、全ての景色を目にすることはないだろう(やろうと思えば出来るかも?)

でも、世界は狭い。実家の6畳の自室より狭い。亀が入った水槽より狭い。その狭い世界に、気づいたら囚われていた。

労働に、人生に、生死に、欲望に、金に、人間に囚われる。

ふざけるな。納得がいかない。それはそういうモノだ。そんな理屈が通ってたまるか。必ず、必ずやこの世界から脱してみせる。

社会人気分では困ります!

「学生気分では困るよ」


学生と非学生(所謂社会人)の違いとは。


違いは無い。どちらも愚か者だ。強いて言えば、後者は救いようの無い愚か者と言ったところだ。


社会人とは。労働に家庭に責任を増やし、その多寡に酔っている生物。


その救いようの無い愚か者が大多数を占めるこの世界。


愚かであることを強いられ、それを自覚せず、ましてや、その状態を善と思い込まされている。


救う価値も無く、救うような事は彼らの幸せな幻想の世界を破壊する、迷惑なお節介に過ぎない。


だから、もう諦めた。私が彼らを見捨て、彼らは私を見捨てる。誰も不幸にならない。素晴らしい世界の出来上がり。